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季 刊 遠 近 の 成 立 ち
  

  同人雑誌「季刊遠近」のルーツを辿ると、昭和55年5月16日に創刊した同人雑誌「よんかい」に行き当たる。
   朝日カルチャーセンター(新宿)はその1ヶ月前の4月4日に、作家・評論家の久保田正文を講師として住友三角ビルで毎週1回、金曜夜6時に〈小説の作法と鑑賞〉講座を開講すると発表した。テキストとして受講生の作品を生のまま手を入れずに印刷・製本し、講座ではそれを教材として使用した。「よんかい」の誌名は4階にあったその会場に因んでいる。久保田先生は剃刀を研ぎ澄ましたような文学者のイメージとは全く異なって、茫洋とした村夫子然とした方で、大鉈で薪の束を叩き割るようなド迫力に満ちた闘士を思わせたが、内実はシャイで優しい気持ちに溢れていた。以来、受講者は一貫して久保田先生を師として仰ぎ、教室は発展の一途を続けた。夜の授業であったので、仕事帰りの男性受講者が他の文学系講座の受講生に比べて比較的多かった。誌齢が100号に到達したのは平成元年5月で、創刊から9年後のことである。受講生による〈記念短編特集〉を久保田先生の解説を付けて発行し、先生所縁の評論家や作家、OBなどを招待して盛大なパーティも開いた。
   久保田先生は広津和郎の〈散文芸術の位置に就いて〉というエッセイの中の「散文芸術は人生の隣にある」という言葉を取り上げて指導の指針とされた。その後、「よんかい」は紆余曲折を経て誌齢を重ねたが、久保田先生ご自身の病による辞意により平成8年2月23日発行の168号をもって終卷となった。先生はその「よんかい」最終号の巻頭に〈『よんかい』終刊号のために〉という一文を寄せられ、その最後に愛誦詩として島崎藤村の「晩春の別離」の一節を引用し、別れの言葉とされた。  

     時は暮れ行く春よりぞ
     また短きはなかるらむ
     恨は友の別れより
     さらに長きはなかるらむ   

 久保田先生の引退と共に会員によるお別れパーティが東京駅構内の〈みかど〉で行われ、「よんかい」は長い歴史を閉じた。又この時、現今の「遠近の会」指導者である勝又浩先生もご出席下さった。
 同年の4月に「よんかい」会員の〈やまなし文学賞〉受賞記念パーティが銀座の料理屋で有志たちにより開かれた。久保田先生も参加されて、参会者は14名であった。席上、3月に解散した「よんかい」会員の今後の文学活動の拠り所について様々な意見が交わされたが、久保田先生の提案により新しい同人雑誌を刊行しようということになった。後日、7月の第2回準備会に於いて先生から「遠近」という誌名が提示され、出席者全員のコンセンサスを得て、新しい雑誌名は「季刊遠近」と決定、出席者全員が入会した。その後「よんかい」の古い会員にも声を掛けて最終的には21人のメンバーで発足することになった。そして装幀を現代美術家協会の重鎮・難波田 元画伯にお願いすることになった。役員も決まり、雑誌は順風満帆の船出となった。創刊号が完成したのは平成8年11月22日のことである。
 然し、久保田先生はその後少しずつ体調を崩されて、合評会にも出席されなくなったが、丁寧な作品評を手紙で送り続けて下さった。14号からは批評の筆が途絶え、15号は返事が無く、結局16号が追悼号となってしまった。
   久保田先生が亡くなられたのは平成13年6月6日のことである。
   久保田先生が亡くなられて精神的な支柱を失った我々は16号の会員追悼文の中で、筆禍を犯してしまった。そのことをいち早く我々に指摘し、我々の立場に立って心配され、親身になって解決策を示唆して下さったのが久保田先生の弟子で法政大学教授の勝又浩先生であった。我々は勝又先生こそ久保田先生亡き後「遠近」が倚るに相応しい親木であろうと考えて、平成13年10月17日午後に編集委員・安西昌原、難波田節子の2人が市ヶ谷の法政大学新館25階のティ―ルームで2時間ばかり話を聞いて戴き、「季刊遠近」の顧問就任をお願いした。然し先生は「自分は今〈文學界〉の同人雑誌評に関係しているから……」とのことでその件はお断りになられた。そこで「それでは何かあったときには相談に乗って下さい」とお願いしたところ、これは快く了承して戴けた。久保田先生の後任をつとめて頂くのは勝又先生が〈文學界〉の同人雑誌評を辞任された後ということで了解を得た。
   翌年1月12日、池袋の勤労福祉会館で「遠近の会」の新年会を開いた。勝又先生にも出席をお願いして会員に紹介した。そこから勝又先生と「遠近の会」との正式な付き合いがスタートし、現在に至っている。その後合評の場所は池袋の勤労福祉会館から船堀のタワーホール船堀に移ったが、不便なのは池袋に比べると飲み屋の数が少ないというだけで、その他の環境は申し分ない。勝又先生が「遠近の会」の特別会員に就任されてから会員数は飛躍的に増えた。これも勝又先生のご人徳によるものと会員一同感謝している。又、先生は非常に企画力に優れ、「遠近」のイベントに種々のアドヴァイスをくださった。「久保田正文著作選/文学的証言」(大正大学刊)の出版記念講演会では久保田先生のご子息と著者の大正大学教授・小嶋知善先生をお招きしたり、「〈季刊遠近〉50号出版記念講演会」では法政大学教授で作家の中沢けい先生と勝又先生とのコラボレーションを企画して参会者から非常に喜ばれたりした。現在の悩みは会員の高齢化が進んでいることである。若い意欲のある作家、評論家志望者の入会を切に望んでいる。入会すればきっと得るところが多いだろうと思う。



久保田 正文

   久保田先生は大正元年9月28日、長野県下伊那郡山本村箱川に出生されたが、病を得て平成13年6月6日、88歳で逝去された。飯田中学、松本高校を経て昭和13年3月、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。文学博士。戦時中にはその著書のために治安維持法違反容疑で特高警察に検挙されたりもした。戦争を挟んでの苦悩の時代を経て戦後は旧制中学教師、八雲書店取締役・編集部長、〈新日本文学〉編集長、文芸評論家(〈文學界〉同人雑誌評担当)、作家、日本大学、法政大学、大正大学教授などを歴任された。その間、朝日カルチャーセンターの同人雑誌「よんかい」及び「季刊遠近」講師として21年間に亘ってわれわれ社会人を指導されたことで、「遠近」の会員は言葉に尽くせない恩恵を被っている。先生はわれわれ同人の作品・小説、評論、エッセイなどについて慈愛に満ちた眼差しでその内容を幅広く批評し、真剣に意見を述べて指導をされた。先生がその文学的力量を発掘し、世に送り出した作家は枚挙に暇ない。昭和54年11月、第27回菊池寛賞受賞。

【著書】
「労働者文学の条件」(現代書房)▲短編集「正岡子規」(吉川弘文館)▲「近代短歌の構造」(永田書房) ▲「冬のランプ」(冬至書房)▲「戦後(「花火」改題)」(北辰堂)▲「昭和文学史論」(講談社)▲「正岡子規と藤野古白」(永田書房)▲「現代短歌往来」(筑摩書房)▲「リゴリズムの生態」(木精書房)▲「新編 啄木歌集」(岩波文庫)▲「少女」(木精書房)▲「芥川龍之介―影のない肖像―」(木精書房)他