講 師 紹 介
勝又 浩
勝又浩先生は昭和13年7月24日、神奈川県横浜市に出生された。法政大学大学院博士課程修了。法政大学教授を経て現在法政大学名誉教授。長年、文芸評論家として雑誌〈文學界〉で同人雑誌評を担当されたが、その後も〈季刊文科〉や〈三田文学〉などの文芸雑誌で同人雑誌評及び多彩なテーマについての考究などで活躍をされている。昭和49年「我を求めて―中島敦による私小説論の試み―」で、第17回「群像」新人賞評論部門受賞。平成17年「中島敦の遍歴」(筑摩書房)で第13回「やまなし文学賞」評論部門受賞。 勝又先生は法政大学大学院在籍中に立ち上げた評論中心の同人雑誌「序破」が、〈文學界〉の同人雑誌評で久保田先生に評価された。その後、久保田先生の知遇を得て先生を囲む会に30年近く出席された。久保田先生には、又「阿部六郎論」も評価されて、阿部の京大時代からの友人矢部尭一に、先生の家の書斎で紹介されたりもした。久保田先生との縁で「よんかい」時代にも時々我々のところにお出で戴いていたが、「季刊遠近」時代になって久保田先生が亡くなられてからは、全面的に面倒を見て戴くことになり今日にまで至っている。 先生は中島敦の研究で有名だが、私小説の研究でも第一人者であり、故秋山駿先生と共に、「コレクション 私小説の冒険」を監修出版。第1巻の「貧者の誇り」第2巻の「虚実の戯れ」に続き、最近「私小説ハンドブック」を勉誠社から出版されるなど、ますます私小説分野の研究に拍車がかかっている。昨今は故大河内昭爾先生たちと始めた「季刊文科」の編集にも心を砕いておられる。「遠近の会」では、3ヶ月か4ヶ月に1度「季刊遠近」収載作品を総括して戴いている。その批評は厳しいが、必ず筆者が納得出来る方向性を指示してくださる温かさがある。 我々の未完成な小説や評論に対して勝又先生からは丁寧なご指導を頂いているが、逆に我々が勝又先生を総括すると、非常に好奇心の強い先生だなというイメージが強い。江戸川区にあるタワーホール船堀にはその名の通り突出して高い塔がある。教室から最上階にエレベーターで上ると下界の見事な景色が手に取るように見えるが、凡人は一度見ればそう何度も見たいとは思わないだろう。然し、勝又先生は授業後、下の喫茶店に生徒を待たせてご自分はエレベーターで何度でも展望階に夜景を見に行かれる。そんな勝又先生の一面を古くからの受講生たちに想像させるのも先生の魅力の一端かもしれない。 【著書】 「作家論集 我を求めて」(講談社)▲「作家論集 求道と風狂」(構想社)▲「都市の常民たち―作家のいる風景」(勉誠社)▲「二人の先生 小田切秀雄・久保田正文」(イー・ディー・アイ)▲「引用する精神」(筑摩書房)▲「中島敦の遍歴」(筑摩書房)▲「作家たちの往還」(鳥影社)▲「〈鐘の鳴る丘〉世代とアメリカ」(白水社)▲「私小説千年史」(勉誠出版)▲「山椒魚の忍耐」(水声社)他